【日本民法】条文総まくり

旧民法から現行民法まで。1条ずつ追いかけます。

仁井田益太郎解題『旧民法』(5)旧民法の修正(了)

民法
仁井田益太郎 解題
日本評論社
1943(昭和18)

 

dl.ndl.go.jp

※以下は同書を現代語訳したものです。意訳した部分もあります。気になる部分については原文をご確認ください。

 

 

第5 旧民法の修正

 日本は屈辱的な条約を改正することを長い間国是とし、このことについて欧米諸国と長期にわたって熱心に交渉を続けていました。ついに、明治27年7月16日、イギリスとの間に条約改正が成りました。同国との改正条約は、明治32年7月17日に発効することになっていましたが、別に外交文書で民法、商法などが完全に施行されなければ、さらに実施を延期することと定めてありました。これらの点については、他の外国との改正条約もだいたいイギリスとの改正条約と同様に定められていました。そのため、条約改正を実現するために、急いで旧民法、旧商法及び付属法律を修正して、法例、民法、商法及び付属法律を編纂する必要が生じました。

 

 政府は、明治26年3月25日勅令第11号で法典調査会規則を定め、これにより法典調査会を設け、民法、商法及び付属法律の修正案を起草・審議させることとし、総裁、副総裁各1人、主査委員20人以内、査定委員30人以内をもって法典調査会を組織することにしました。そして、総裁には伯爵伊藤博文、副総裁には侯爵西園寺公望が任命され、穂積陳重、富井政章、梅謙次郎の3博士ほか数十名が主査委員又は査定委員に任命されました。こうしてまず民法及び同付属法律の改正に着手することとなり、上記の3博士が主査委員の中から起草委員に選ばれました。その後、明治27年3月27日に勅令第30号により法典調査会規則を改正し、主査委員・査定委員の区別を廃して委員の数を35人以内と定め、正式に起草委員を置くこととし、委員の中から総裁がこれを命じることにしました。主査委員・査定委員の区別が存在していた間は、主査委員会が起草者の提案するものを原案として審議し、その可決したものを予定決議とし、主査委員・査定委員から構成される委員総会で審議し可決したものを確定決議とすることと定めていました。しかし、こうした方法によると会議は二重となり、審議の遅延を来すため、ついに主査委員、査定委員の区別を廃したのです。
 法典調査会規則のほかに、内閣から法典調査会総裁に対する通牒として、明治26年4月27日内閣送第3号法典調査規程というものがあります。この規程では、法典の修正は単独起草合議提案の方法によるものと定め、その他委員の担任決議の順序、議事規則などを定めていました。また、法典調査会で定めた「法典調査の方針」というものがあります。この方針の中には、民法の編別、各編の大綱を掲げ、かつ条文の体裁・用語に関する一般的な指針を挙げていました。
 法典調査会で民法修正原案を作成した当時の模様についていえば、旧民法、その他わが国の法律、ドイツ民法草案その他の立法例をもれなく参照し、かつ日本の慣習もできるだけ取り調べた上で案を作っていました。そして、原案作成の方法としては、法典調査会規定に則り、3人の起草委員が各自単独で起草したものを合議の上で決定し、これを原案として委員会に提出しました。また、起草委員は、関係の広い問題、その他原案作成上委員会の意見を確かめておく必要のある問題などについては、あらかじめ委員会の決議を求めたことがしばしばありました。
 原案はほとんど絶え間なく委員会に提出されていて、審議の進行は速いものでした。こうして現行民法第3編は明治28年末に成案となり、親族・相続の2編は明治30年末に成案となりました。実に3年あまりで民法全部が成案となったわけであり、時日を要することはなはだ少なかったのでした。

 

 民法修正法律案が帝国議会に提案されるに当たっては、極めて小さな修正があったのみで、議会を通過しました。ただ、同法案第2条修正の議論が衆議院で起こって大きな問題となりました。
 その意見は、「外国人は法令又は条約に規定ある場合に限り私権を享有する」というふうに、現行法第2条と反対の原則を採用しようとしたものでしたが、幸いにして消滅しました。

 

 こうして、旧民法を修正する意味で現行民法を編纂したのでした。現行民法の編纂に際しては、旧民法の趣旨のうち採用すべきものはこれを採用し、採用すべきでないものはこれを排斥しました。そのため、修正原案では必ず旧民法の条文を参照として掲げ、起草委員が修正原案の理由を説明するに当たっても、旧民法の関係法文を挙げてこれを取捨する理由を説明したのでした。また、現行民法の編纂に際しては、旧民法の規定の序列、その体裁を適当に修正し、かつ法文の簡潔、明瞭を期したのはもちろん、理論も尊重しました。しかし、一概に理論に拘泥することなく、実際上の必要に対応することを考慮しました。また、理論の分かれる点で学者の解釈に委ねることを相当とするものについては、法文で解決を与えることを避けました。要するに、旧民法を修正するために現行民法を編纂するに当たっては、旧民法を基礎とした各国の法典、特に新たな立法例、進歩した学説を参照し、理論と実際との調和を図り、わが国に適応する法典を編纂することを期したもので、しかも短時日によくその目的を達成することができたというべきでしょう(著者は、法典調査会で若年ながら起草委員補助として、民法起草に関係していたので、当時の事情を知っているのです)。

 

(了)