【日本民法】条文総まくり

旧民法から現行民法まで。1条ずつ追いかけます。

財産編第19条【可分物・不可分物】

1 物ハ其性質、当事者ノ意思又ハ法律ノ規定ニ因リ形体上又ハ智能上分割スルコトヲ得ルト否トニ従ヒテ可分物タリ不可分物タリ*1

2 或ル地役及ヒ或ル作為又ハ不作為ノ義務ハ性質ニ因ル不可分物ナリ*2

3 物ノ一分ノ供与ヲ以テ合意ノ目的タル便益ヲ与フルコト能ハサルトキハ其物ハ当事者ノ意思ニ因ル不可分物ナリ*3

4 抵当及ヒ債権ノ物上担保ハ法律ノ規定ニ因ル不可分物ナリ*4


【現行民法典対応規定】
なし

今村和郎=亀山貞義『民法正義 財産編第一部巻之一』(明治23年)

※以下は同書を現代語訳したものです。意訳した部分もあります。気になる部分については原文をご確認ください。

 

105 「可分物」とは「分けることができる物」、「不可分物」とは「分けることができない物」という意味です。

 

106 フランス民法は、義務を可分と不可分に区別し、この区別はその目的である事物の可分・不可分によって定まるものとしました。日本民法もまたこれにならい、第441条にこれを規定しました。本条は、その目的とする事物の可分・不可分を定めたものです。

 例えば、1個の契約で債権者・債務者がそれぞれ数人ある場合には、その義務を分割して履行することができるか、債権者が数人ある場合には、各債権者は自己の部分だけの履行を要求することができるか、全部の履行を要求することができるか、債務者が数人ある場合には、各債務者は自己の負担部分だけを履行すればよいか、全部の履行をする責任を負うか。はじめから数人の債権者・債務者がない場合でも、当事者が死亡して相続人が数人あるときはこうした問題が生じます。

 この問題に対しては、まずその義務の目的とする事物を研究しなければなりません。目的には3種類あります。つまり、物・作為・不作為です。この3種類にそれぞれ可分と不可分があります。これが本条の規定の中で明らかにされています(第441条参照)。

 本条第1項は、可分・不可分には、物の性質によるもの、当事者の意思によるもの、法律の規定によるものがあること、また形体上・知能上分割することができる物とそうではないものとがあることを示していますが、その分別の種類が混淆しているので、可分・不可分の説明が非常に難しくなっています。まず形体上と知能上の区別を説明し、はっきりしない第1項の条文について以下で説明します。

 

107 「形体上分けることができる物」とは、例えば金銀塊・土地・米麦・酒酢のように、これを何個かに細分してもその金銀・土地・米麦・酒酢ということは依然として変わらず、またこの物そのものを分割することができるものをいいます。そのため、これを「形体上分けることができる物」とします。

 「形体上分けることができない物」とは、例えば乗馬・坏椀です。もとより馬や陶器や木器はこれをいくつにも割断することができますが、1頭の馬を切って2つにしてしまえば、これを乗馬ということはできず、単に1つの死馬となってしまいます。つまり、分割により乗馬は滅失するわけです。坏椀の類もまた同じです。これを割って破片としてしまえば、坏椀は滅失して陶片・木片だけ残ることになります。これを「形体上分割することができない物」とします。

 要するに、形体上分割することができるかどうかの区別は有体物だけについていえることです。もともと形体のない物については形体上分割することができるか否かという問題が生じないからです。

 

108 知能上分割することができるか否かという区別は、有体無体の両方について言えることです。

 例えば、1団の田地があり、その中央に境を設けて2団とした場合には、形体上これを分割したものといえます。この1団の田地がA・B2人に属し、形体上まだこれを分割していない間は、その田地は2つに分かれたものと想像することができます。しかし、まだ形体上分割していないのに、どの部分がAに属し、どの部分がBに属するのかということを知ることはできません。このような場合には、これを「知能上の分割」といいます。「知識界だけで分割し、実物を分割しない」という意味です。

 このほか、乗馬・船舶の類で共有することができる物は、すべて知能上分割することができるものです。

 要するに、有体物は形体上・知能上のいずれかで分割することができるのです。

 無体物でも知能上分割することができるものがあります。例えば、用益権のように、A・B2人で同時に用益権を行使する場合には、その権利はA・Bに属するもので、上の例と同一の理由により、知能上分割することができます。このほかの諸々の権利はすべてそうです。

 権利は無体物です。そのため、形体上分割することはできませんが、知能上ではなく事実上これを分割することができます。例えば、A・B2人で1団の田地に存する用益権を有するような場合です。その田地を分割せずにともに用益権を行使する場合には、権利を分けていないのと同じで、知能上の分割がありうるにすぎません。これを2団に分割し、A・Bそれぞれ用益権を行使することを約した場合には、その権利は実際に2個に分割されることになります。

 「知能上分割することができない物」とは、どのようなものをいうのでしょうか。

 フランス法の学者や日本民法の説明では、知能上分割することができる物の例として示されているのは、「通行の地役」です。「通行の地役」とは、A・B2個の隣接する土地があり、その所有者を異にする場合、A地の所有者がB地を通行する権利を有することをいいます。そもそも通行は事為です。通行しようとしても完全に通行させなければ通行とは言い難いものです。そのため、半分や4分の1を通行するというようなことはできません。例えば、BがAに約して通行の地役を得させようとする場合には、Bは全部を通行させなければ、その義務を履行したことにはなりません。Bが死亡して2名の相続人があり、1人の相続人は通行の地役をAに得させる義務の半分を相続したということから、ただ自己の相続の部分だけ、つまり半分を履行しようとする場合はどうでしょうか。Aは、半分の履行を受けても完全な履行がないのと同じで、利益を得ることはできません。一部の通行は実は通行とはならないのです。その全部を通行してはじめて通行といわなければなりません。通行がこのようなものであるのは、それが不可分の性質を有するからです。通行はもともと無形体であるので、これを形体上不可分ということができません。そのため、これを「知能上の不可分」とするのです。これが西洋の学者の考え方です。

 もう1つ別の例を挙げましょう。A・B2人がCに対してある事件につき訴訟をしないと約束するような場合です。その訴訟をしないという義務は、不作為の義務です。この義務はこれを履行しようとする場合にはその全部を履行しなければなりません。これを分割して半分や3分の1を履行するということはありえません。これもまた「知能上の不可分」であるとの考え方があります。

 私は、通行の地役もまたこれを知能上分割することができると考えています。例えば、A・B2人で1つの土地を共有し、その隣接地に対して通行の地役権を有すると仮定しましょう。あたかも2人で乗馬を共有する場合のように、事実上その地役を分割することはできませんが、知能上A・B2人に分属するものと想像することができるというのは、乗馬の場合と同じです。単に権利だけでなく、訴訟をしない義務のようなものも、数人に共属し、智識界ではまた分割することができるものです(「デモロンブ」第26巻第512号参照)。

 地役権は無体物で、もとより形体上分割することができないものです(第268条参照)。その知能上の分割は形体上の分割と相対するものなので、西洋の学者は「形体上分割することができないもの」といい難いものを「知能上分割することができないもの」としますが、そうであればこれは誤った考え方といわざるをえません。要するに、地役権は事実上分割することができず、知能上これを分割することができるものです。その理屈は、乗馬・船舶と同じです。ただ有体と無体との区別があるだけです。

 そのため、西洋の学者の出す事例は、知能上分割することができないものではありません。知能上分割することができないものにはどのようなものがあるでしょうか。例えば、勲章はこれを知能上分割することができないものというべきでしょう。勲章は数人に共属することができるものではないからです。

 

109 以下では、物の性質による不可分、当事者の意思による不可分、法律の規定による不可分の区別を説明しましょう。

 本条第2項では「性質による不可分物」の例を示しています。つまり、ある地役、ある作為の義務、ある不作為の義務です。

 地役には、性質上可分のものと不可分のものとがあります。例えば、「取水の地役」は性質上可分物です。水の数量はこれをいくつにも分割することができるからです。これに対して、「通行の地役」は実際に分割することができないことは上に述べた通りです。「観望の地役」もまた分割することができません。これを「性質による不可分物」とします。第268条に詳細が規定されています。「作為の義務」にも可分のものと不可分のものとがあります。例えば、金銭を払う義務、道路を築く義務、数個の物を作る義務は、これをいくつにも分割して履行することができます。これに対して、A地よりB地に旅行する義務は、実際にこれを分割して履行することはできません。

 「不作為の義務」についてもそうです。例えば、A地の所有者がB地の所有者に対しその土地に樹木を栽植しないことを約するような場合です。その土地の半分の面積に樹木を栽植すればその義務の半分を履行したことになります。また俳優が30日間Aの劇場に出演して、Bの劇場に出演しないことを約するような場合、10日間この約束を守れば3分の1この義務を履行したことになります。これに反して、訴訟をしない義務は、その一部を履行することはできません。その性質がこれを許さないからです。

 「当事者の意思により分割することができない物」とは、性質上分割することができるものでもこれを分割すると当事者の目的を達せられないことになるので、不可分となったものです。

 第3項にその例が示されています。「その物の一部の供与~」というのは、例えば衣服を作る合意です。その袖・襟だけを供与しても目的の便益をなしません。当事者の意思は必ず完全な衣服を給付することにあるからです。このほか家屋・船舶の築造の合意もまた同じです。必ずその家屋・船舶の竣功を要し、当事者は家屋・船舶の一部分だけを引き渡し、これを受け取る意思はないものと推定しなければなりません。

 当事者の意思は、これを必ずしも明言することを要しません。その合意の事情によってこれを推測することができればよいのです。例えば、数人で1個の建物を築造し、ある事業を営もうとして1団の土地を借りるような場合です。契約に明言がなくとも、その賃借権はこれを分割することができないと推測すべきです。つまり、「意思による不可分」です。これを分割するとその目的を達することができないからです。これに反して数人が個別に建物を築造し、個別に事業を営もうとする場合には、その賃借権はもとよりこれを分割することができるものです。

 このほか、無体物についてもまた意思による可分と不可分とがあります。例えば、ある有名な画工に書幅を作らせることを約束するような場合です。その画工の義務は不可分で、一部を自分で描き他の一部を他人に描かせることはできません。その画工が有名であることを目的とし、決して他人がその画を描くことを望んでいないことは明瞭だからです。これが「意思による不可分」です。

 「法律の規定による不可分」とは、立法者が当事者の意思がこうであると推測して特に明文を掲げたものであり、実は「意思によるもの」の小区分です。法律は理由なく不可分を作為することができず、ここで理由とされているのは当事者の意思です。つまり、抵当権・留置権の類です(担保編第97条第202条参照)。

 抵当権・留置権は、1個の物で数人の債務を担保することがあります。そのため、これを数個に分割することができるので、これを「性質上の不可分」ということはできません。しかし、当事者の意思ではたとえ債務の一部分を弁済してもなお抵当権・留置権の全部が存することを目的とするのが通常です。民法は特に規定してこれらの権利を不可分としました。反対の合意でこれを可分とするのは、もとより法律の許すところです。

 

110 可分物と不可分物との区別は、義務の履行と大いに関係があります。不可分物を目的とする義務で債務者が数人ある場合には、その債務はたとえ連帯ではなくとも連帯と同じ効果を生じ、債権者は各債務者に対し債務の全部を尽くさせる権利を有します。例えば、乗馬を引き渡す義務です。この義務を負担する者がA・Bの2人でも、債権者はAかBのどちらか、つまりその馬を所持する者に対して義務全部の履行を要求することができます。

 また、1人の当事者が死亡して相続人が数人ある場合には、この区別を必要とすることが少なくありません。人権の部に可分義務と不可分義務の規定があります(第439条条以下)。義務が可分か不可分かはその目的事物が可分か不可分かによるもので、フランスの学者でこの区別を講ずる者はみなその困難に非常に苦しんでいます。日本民法はこの事項についてはフランス民法とかなり規定を異にし、紛雑を減じていますが、まだ非常に明瞭とはいい難いものです(第439条以下)。

 

111 略(論説)

*1:物が可分物又は不可分物であるかは、その性質、当事者の意思又は法律の規定により、形態上又は知能上分割することができるかどうかによって定まるものとする。

*2:ある地役及びある作為又は不作為の義務は、性質による不可分物とする。

*3:物の一部の供与をもって合意の目的である便益を与えることができないときは、その物は、当事者の意思による不可分物とする。

*4:抵当及び債権の物上担保は、法律の規定による不可分物とする。