【日本民法】条文総まくり

旧民法から現行民法まで。1条ずつ追いかけます。

財産編第75条【用益者が目録又は形状書作成義務を履行せずに収益を開始した場合】

1 用益者ハ目録又ハ形状書ヲ作ル義務ヲ履行セスシテ収益ヲ始メタルトキハ完好ナル形状ニテ不動産ヲ受取リタリトノ推定ヲ受ク但反対ノ証拠アルトキハ此限ニ在ラス*1

 

2 動産ニ付テハ虚有者ハ通常ノ証拠ハ勿論世評ヲ以テ其実体及ヒ価格ヲ証スルコトヲ得*2

 

【現行民法典対応規定】

なし

 

今村和郎=亀山貞義『民法正義 財産編第一部巻之一』(明治23年)

※以下は同書を現代語訳したものです。意訳した部分もあります。気になる部分については原文をご確認ください。

 

314 そもそも用益者は用益物については善良な管理人のように用益物を保存し、用益権消滅時にこれを返還する責任を負います。用益物が使用によって自然に品位を低下させるのは当然で、用益者はその責任を負いませんが、自己の過失や懈怠で用益物を毀損・滅失させた場合には、その賠償の責任を負います。その過失や懈怠がないことを証明するものは、動産については目録、不動産については形状書だけです。そのため、この2種類の証書を作成しておくことは、用益者の第1の義務です。用益者がこの義務を履行せずに収益を始めた場合にはどうするのでしょうか。この場合には、将来その過失や懈怠の有無を証明するのに憑拠すべき証拠がないことになります。民法はその不都合を生じさせないために、本条でこの義務不履行の用益者に一種の罰を設けています。つまり、用益者がその目録・形状書を作成する義務を履行せずに収益を開始し、用益物の実体・価格などにつき将来証明の方法がない状態となった場合には、不動産については完全無欠の有様で用益を開始したと推定し、動産については虚有者に普通の証明法でその実体・価格(用益権の開始の当時に用益物が有していたもの)を証明することを認めるだけでなく、なお世評でこれを証明することを認めました。そのため、用益権消滅の時に不動産が大いに破損し、その破損が自然に生じたものでない場合には、すべてこれを用益者の責任とし、賠償させることができます。これに対し、用益者は世評で自分の申立てを証明することができません。結局、過失や懈怠の責任を負うことになります。

 

315 以上が本条の大意です。なお、そのように動産・不動産を区別した理由と、「通常の証拠」と「世評」とが異なる理由を説明しておきましょう。

 そもそも不動産の所有者は、通常、これを維持管理し、容易に朽廃・崩頽させてはなりません。そのため、民法はこの通常の場合を標準とし、用益者が形状書をも作らずに収益を始めたのであれば、無論その不動産に破損した場所もなかったのだろうと推定します。破損した場所があれば、用益者は自分の権利を保護するために必ず形状書を作ったはずだと考えられるからです。しかし、この推定は完全なものではありません。いわば軽易なものです。そのため、果たして本当に不動産が完全なものでなかったという事実があるのならば、用益者は通常の証拠方法で証人・鑑定人に自分の過失や懈怠により破損したのではないことを証明することができます(完全な推定と軽易な推定との区別は、証拠編第75条第87条に詳しく規定されています。第9条の説明も参照。)

 要するに、不動産については、民法はその形状を完全なものと推測し、この推測に誤謬があれば用益者にこれを証明させるわけです。用益者がこの推測が誤謬であることを証明することができなければ、自ら不利の結果を受け、虚有者ははじめから何らの証明もする必要がありません。終始受け身の地位にあって利益を受けます。これは義務不履行の用益者に対して一種の制裁を設ける趣旨です。

 民法は、動産については、完全な形状で受け取ったという推定をしていません。そもそも動産は少し使用するだけでもたちまち品位が低下するものが多く、普通に完全な形状の動産は非常に稀だからです。しかし、用益者がその義務を履行せずに収益を始めた場合には、虚有者に損害を与えないような方法を追求しなければなりません。そのために本条第2項の規定があります。

 第2項で着目すべき点は、「世評」の一事です。そのため、まず世評と他の証拠との区別を説明しておきましょう。

 そもそも証拠の方法には種々あり、すべて証明力の程度を同じくするものではありません。第一等の証明力を有する証拠は完全な法律上の推定で、その他公正証書、私署証書、証人の陳述などと次第に証明力が減っていきます。その中で最下等に位置するのが世評です。

 世評とは、「世人の評判」という意味です。そのため、世評で証明するには、世人の言うところを伝聞したと陳述することができます。そもそも世評は多くは事実を課題にするものであり、俗に針を棒という類の弊があります。そのため、世評の証拠方法は証拠力が非常に薄弱です。これに対して、証人の陳述は証人である者が自ら事実を知っている場合に用いるものです。例えば、原告がこういうことをしたことを直接に見た、こうこう言っていたということを直接に聞いたということを陳述するわけです。

 世評はこのように証拠力に乏しいものなので、民法は容易にこの証拠方法を用いることを認めていません。そのため、証拠編第73条では、世評は特にこれを認めるという明文がある場合などに限りこれを証拠とすることができるとしています。「特にこれを認めるという明文がある場合」とは本条を指すものでしょうが、これを用いる場合は非常に稀です。

 動産物の実体価格を証明するには、本条の場合には虚有者と用益者双方で大いに権利を異にしています。用益者に目録を作らせようとするためにこの制裁を設けたのです。

*1:用益者は、不動産の形状書を作成する義務を履行せずに収益を開始した場合には、完全な形状で不動産を受け取ったとの推定を受ける。ただし、反対の証拠があるときは、この限りでない。

*2:用益者は、動産の目録を作成する義務を履行せずに収益を開始した場合には、虚有者が通常の証拠又は世評をもって動産の実体及び価格を証明することができる。